六十五歳のご夫婦の、あるお話をお聞きください。再婚されて三年、ご主人が急に倒れられました。お二人は仲の良いご夫婦でしたが、実は、相続については一度も具体的に話し合われていませんでした。
ご主人には前のご結婚のお子さまが二人、奥様には一人。ご主人のご自宅は、結婚前からのご所有でした。預金の共有口座はなく、それぞれが別々の口座を持たれていました。奥様は、自分がどこまで相続されるのか、何も知らないまま、救急搬送先の病院で途方に暮れていらっしゃいました。
なぜ、早く話さなくてはいけないのか
五十代、六十代の再出発では、相続とお金の話は、「ロマンスが冷めないうちに」先に済ませた方が、結果的にずっと穏やかに関係が続きます。
理由は三つあります。第一に、双方にそれぞれご自分のお子さまやご家族がいらっしゃる可能性が高い。第二に、ご自身の家、保険、年金など、決める要素が若いご夫婦より多い。第三に、話を先送りすればするほど、言い出すタイミングがなくなる。
「お金の話は、もう少し仲良くなってから」という若い頃の感覚は、五十代以降の再出発ではそのまま通用しません。むしろ、お互いが冷静に話せる早い段階の方が、品位を持って話し合える時期なのです。
初期段階で話しておくべき、五つのこと
- それぞれの住まいの所有関係。持ち家なのか賃貸なのか。持ち家なら名義はどうなっているか。
- 成人したお子さまの有無と、その数。関係の詳細ではなく、事実としての人数を知っておくだけで、後々の話が組み立てやすくなります。
- それぞれの大まかな経済状況。年収や貯蓄の細かい額ではなく、働き続ける予定か、年金生活か、といった枠組みです。
- 健康状態と保険の加入状況。いざという時の治療費について、お互いの備えを知っておく必要があります。
- 前のご家族との金銭的な約束ごと。元配偶者への支払い、前のお子さまへの援助など、定期的な支出があるかどうか。
これらは、結婚や同居の前に、必ず静かな場所で一度話しておかれるべきです。
話の切り出し方
「お金の話を、しなければならないのだけど」と固く始められると、相手は身構えられます。代わりに、ご自身の話から始めてみてください。
「私ね、最近、自分の持ち家のことや相続のことを、一度整理しておこうと思っていて。あなたも、きっと同じことを考えていらっしゃるのではないかと思うのだけど」。
この始め方は、相手に質問するのではなく、ご自身の話題としてお金を持ち出しています。相手は防御モードに入らず、自然にご自身の話を重ねてこられます。
遺言書を、今のうちに
五十代、六十代で新しいお相手と関係を築かれる方には、公正証書遺言を必ずおすすめします。結婚されない関係であっても、遺言書があれば、大切な方に一定の財産を残すことができます。
特に、前のご結婚にお子さまがいらっしゃる方は、遺言書なしで再婚された場合、相続の争いが起きるリスクが非常に高くなります。遺留分の問題もあります。公証役場の費用は、財産額にもよりますが、数万円から十万円程度で作成できます。
「縁起でもない」と感じられるかもしれませんが、遺言書は愛情の表現です。残される方が困らないようにする、最後の配慮だからです。
家の問題:同居する場合の三つの選択
再出発のお二人が同居される場合、家の扱いには主に三つの選択があります。
- どちらか一方の家に入る。入った方は、賃料相当を支払うか、生活費で調整するか、のルールを先に決めます。
- 両方の家を保持したまま、主にどちらかに住む。保有コストは残りますが、関係に何かあった場合の安心材料になります。
- 両方を処分して、新しい家を二人で借りるか買う。心機一転の形ですが、前のご家族との思い出の整理を急がないようにされてください。
どれが正解ということはありません。ただ、選択の理由を、お互いが納得できる形で言葉にされているかどうかが、後の揉め事を防ぎます。
成人したお子さまへの、説明
相続や家の話を新しいお相手と決められた後は、成人されたお子さまにも、できるだけ早くお伝えになるのが賢明です。事後に聞かれた方が、お子さまの感情は荒れます。
「お母さんは、○○さんと、相続についてこう決めたの。あなたに不利益のないようにしているから、安心してね」。この一言があるだけで、お子さまは「自分は蚊帳の外ではない」と感じられます。
専門家に、一度だけでも
相続や遺言について、ご自身と新しいお相手だけで決めるのは、思わぬ落とし穴があります。一度、税理士か司法書士、あるいは行政書士に相談されてみてください。初回相談無料の方も多くいらっしゃいます。
お金の話は、愛情の反対ではありません。むしろ、愛情を現実の仕組みに落とし込む、大事な作業です。五十代以降の関係が穏やかに続いていく秘訣は、ここにあると言っても言い過ぎではありません。
最後に、静かな一歩
今週末、お二人でお茶を飲みながら、一つだけ話してみてください。「もしどちらかに何かあったとき、家はどうしようか」。重い話ではなく、二人の未来設計の話として、静かに切り出してみてください。
その会話ができる関係は、十年後も、きっと穏やかに続いているはずです。